日本映画発掘記録

配信で見れる”あの頃日本映画”を掘り起こしています。

『銀座カンカン娘』|ネタバレ|B面

 

発掘記録(A面)はこちら。

angie-stars.hatenablog.com

 

注意

B面は、私の分析エッセイです。

ネタバレを含むので、ご注意ください。

発掘記録(A面)→本編視聴→エッセイ(B面)という流れをお勧めします。

 

エッセイ

ハッピーな1時間、コミカルな1時間、その終わりは、ハッピーエバーアフター、二人が汽車に乗って見送られるとか、もう一回四人で歌うとか、そういう終わり方をするのだと、てっきり思い込んでいました。それが文法通りに思えたからです。でも、でも、そんな私の陳腐な予想を、すんごい勢いで裏切りました。この作品、ただもんじゃないな!

 

そう、最後に出てくるのが輝きを取り戻したお父さん。落語を餞別に、いつまでもどこまでも続いていく。繰り返された「銀座カンカン娘」のリフを忘れてしまうほど、息のつく暇もないほど流暢に繰り広げられる落語は、まさに音楽だった。芸術だった…!落語なんて『の・ようなもの』以外に興味がなかった私にとって、この発見は少々ばかり衝撃的なものである。軽快な音楽(服部良一作曲)によって彩られたミュージカルである本作が、落語で幕を閉じるということ自体が、本当に突飛なアイディア+挑戦的な意味合いを持つアイディアであるのです。

 

加えて、「終」マークに続く形で、出囃子(ではなくて退場の囃子?)がなるのです。「終」で席を立ち上がる観客の退場ソングでもあるのです。ハリウッド形式のミュージカルを続けてきた本作品にとって、このような締めくくり方は、政治的な意味合いすら持ってしまうように思える。そして芸術の意味を拡張します。落語だって音楽だもんね、ミュージカルだもんね!

 

それ以外にもこの作品は面白い点がいくつかあります。

一つ目は擬似家族的共同体が歌によって結ばれていること。主要登場人物はほぼ一つ屋根の下に暮らしながら、血のつながり(家族の定義)はない。冒頭のお母さん?のセリフからわかるように、戦争孤児であることが示される。つまり、戦争が大きく影を落としているということだ。そんな彼らは歌うこと、絵を描くことによって、擬似的であろうと家族として家を形成している。違和感なしに食卓を囲む景色はこの時代珍しくなかったのかもしれない。

 

もう一つは、彼らが住む場所だ。おそらく西東京、それなりの自然と住宅街で、バスに乗って銀座へと行く。その移動のシーンこそ描かれていないから、彼らが「どこでもドア」使ったみたいな勢いの瞬間移動。それがトポロジカルな問題提起を全く覆い隠してしまっている、それが本当にいい。だって全部、セットだもんね!

 

高峰秀子さんの伸びやかな声に、笠置シヅ子の独特の歌声が重なり合って、なんとも言えぬ多幸感。よかったなあ、少し泣きそうになっちゃった、くらい幸せな響きです。